超鈴音は手を抜いたのか?敗北を望んだのか?

 ここ数週の『ネギま!』を読んでいて釈然としない部分があったんですが、ちょうど今週出たコミックス17巻を読み返したら自分なりに解釈できました。
 ……で、ちょうど同じような問題提起をされていた方がいるので、便乗して言及リンクを貼ってみます。

麻帆良祭の間に超がした事・された事「いつかは何かがある」さん、ネタ元:マンガ☆ライフさん)

もう一度言いますが、超は未来を変えに来たはずです。
それなら、それを阻止されるわけにはいかないはずです。
また、未来を変えるために全てを尽くすはずです。
しかしこれらは、まるで未来を変えることを阻止して欲しかったかのような言動です。
前々から、実は超は未来を変えようとして失敗するのが目的だった、という説がありますが、ますます真実味を帯びてきた感じです。
これについての詳細が分かるのは、まだまだ先でしょう。

 VS超戦決着後の様々な”ヌルい”出来事……たとえば「強制認識魔法発動、しかしその内容は、超がまけたら無害な別のものに変わるようになっていた(160) 」「超家家系図を提示、本物かどうかは不明(162) 」(もし使えば間違いなく超が勝っていたというコメント付き)を見ると、彼女は「勝てるはずの戦いであえて手を抜いた?」ように思えるかもしれません。そもそも、ネギは超からカシオペアをもらっていなければ、一連の事態に全く対処できなかったはず。
 ……が、おそらく超は彼女なりの信念に基づいて「ゲーム」の条件と舞台を築き上げ、その範疇においてベストを尽くしたのだと思います。
 その条件とは、「ネギにカシオペアを与えたうえで改変後の未来へ送り込み、自分と”同じ舞台”に立たせて勝負すること」。そして動機は、超自身も己の正しさを絶対視してはおらず、あえて阻止の機会を作ることで歴史とご先祖様の審判を仰いだのではないか?と、自分は考えます。
 後者の動機を満たすだけであれば、ただ単に自分の目的を明かしてネギと対峙すれば良かったでしょう。でも、どうして超はあんなに回りくどい手順を取ったのか? その回りくどさにこそ鍵が隠されていると思うんです。

「よくここまで辿り着いたネ ネギ坊主 そして……”これで君は私と同じ舞台に立った”」(156時間目、””内に傍点)

 これが最大のキーワード。「同じ舞台に立った」というのが物理的に対峙したという以上の重いニュアンスを持つことは間違いありません。
 では、「同じ舞台に立った」というのは何を意味するのか? ……これまでの経緯を辿れば答えは明白。ネギ自身が己の意志と覚悟に基づいて「歴史を改変する」立場を選択し、加害者VS被害者ではなく改変者VS改変者という対等の構図で超に挑むことです。そのお膳立てを整えるために、超はわざわざ自分の計画への対抗手段であるカシオペアをネギに渡し、なおかつ「超が勝利を収めた未来」へネギたちを一旦送り込む必要があったのだ……と、自分は考えます。超が自分の想いを貫き通し、なおかつネギたち魔法使いが阻止せざるを得ない状況を作って対決に追い込むためにも、このプロセスは不可欠だったのでしょう。
 あと、究極兵器(笑)こと超家家系図を実戦投入しなかったのは、自分の出生にも影響を与えかねない危険物だったからでしょうね。(ちなみに、周りを煙に巻くような言動やノリの軽さから見ると、彼女には朝倉かパルの血が混ざってるんじゃないか?という気もします(笑)。
 自分が釈然としなかったのは、「超自身の諦めが良すぎるのは構わないとしても、彼女の目的に賛同した仲間たちが納得するだろうか?」という点なんですが、これも「ネギと”同じ舞台”に立って勝負し、その結果に身を委ねる」というスタンスをあらかじめ提示しておいたのではないか?と推測できます(また、だからこそ賛同を得られたと解釈することも可能)。そう考える理由は、シリーズ通じて超側のキャラに必死さや悲壮感がほとんど表出していないから。


 ただ、そういう風に超の動機を説明したうえでも、若干腑に落ちない点は残るんですが。差し替えられたハカセの願い(せめて今日1日だけでも……という奴)でさえもバタフライ効果で後々の歴史に影響を与えるんじゃないか?とか、超と組んでいて一番得したのは実はハカセだったんじゃないか?とか。……あれれー、なんか黒いよー?(笑)


 最後に一応追加。
 このエントリでは自信たっぷりな調子で書いてしまいましたが、すべて自分の憶測にすぎません。他の可能性、たとえば「超が初めから計画の失敗を望み、ネギたちを鍛えるために打った大芝居である」みたいなパターンも十分ありうる……ということで。

(1/21追記。)

 ごめんなさい、肝心な部分がすっぽ抜けていました。
 結局のところ、「超はあくまでネギに”自分に対抗しうるチャンス”を与えただけであって、勝ちを譲る気はさらさらなかった」と判断する理由を、同日付のエントリに書き足しておきます。

  1. ネギ陣営は結果的に勝利したものの、過程を振り返れば綱渡りの連続だった。「魔法バレ後の未来」からの帰還、強制認識魔法儀式への対処、VS超の個人戦闘など、すべての局面において「ネギ側の歯車が少しでも狂えばアウト」「超の予測を越えた策戦*1を用いてようやく互角」という具合に、条件は恐ろしくシビア。
  2. 超陣営は揃え得る最高の人材を確保した上で計画実行に臨んでいるが、ネギパーティーは学祭期間中に成り行きで仮契約した味方(夕映・パル・千雨)の助力がなければ打破できない局面が多すぎた。
  3. また、超側が常にベストコンディションで戦いに参加していたのに対し、ネギ側は常に消耗と動揺を強いられていた。
  4. カシオペア個人戦闘に応用しなければ、最終戦闘でもネギの勝ち目はなかった。これについて、超は(VSアスナ・刹那戦での使用を通じて)ヒントを与えたにすぎず、ネギが自力で編み出す必要があった。

 具体的な場面の引用は省きますが、詳しくはコミックスを読み返して確かめてみて下さい(笑)。

*1:無自覚の一般人を巻き込んだ魔法騎士団イベントが代表例