発作的にマジな話。

 春歌WSちゃんが日記で紹介した<御存知ジャパネットはかた事件。>の話に便乗。


 問題の回は見ていないんだけど、昨日の「トリビア」が終わった後でTVを点けっぱなしにしていたらアナウンサーの謝罪コメントが流れて、それで初めて「ダイエーに叩かれてたのは、この番組だったのか……」と知った。

 で、そのまま「ワンナイ」を観続けてみて抱いた感想は……「この人たち、たぶん謝罪は口ばっかりで、ぜんぜん反省してないんだろなぁ」


 「笑い」には幾つか種類があるけれど、自分は「他人を見下して物笑いの種にする」タイプのお笑いネタや番組が大嫌いだ。

 件の王監督ネタも、謝罪コメントの後で何事もなかったように放映された今週のネタも、本質的には変わらないと思う。ただ単に、対象が「特定の有名人」か「不特定多数の人々」か?という違いにすぎない


 今週の「電車の中で痴漢に遭って落ちこむ女性と落ち武者」ネタは最悪だった。

 安易に笑い飛ばせるような問題ではないはずなのに、「電車の中で毎日痴漢されるのと、毎日この格好(落ち武者姿)をするのと、どっちがイヤ?」などと問題をすり替えてしまうのは、救いようのない誤りだと思う。

 もちろん、件のネタが「”落ち武者”が現代日本の電車に乗っている」というミスマッチと”落ち武者”の奇抜な容貌を軸にした、「あくまでネタとして作られた状況」であることは承知している。けれど、それを踏まえた上でも、やっぱり劣悪としか言いようがない。


 仮に”落ち武者”が「本当は落ち武者でも何でもないのに、自分から好き好んであの扮装をしている変な人」だとしよう。この場合は、”落ち武者”本人もコントの製作者も、そんな意図的な存在と「痴漢に遭った女性」とを秤にかけた時点で、”彼女たち”の精神的苦痛を取るに足らないものとして笑い飛ばしてしまっていることになる。


 では逆に、あのコントの世界で”落ち武者”が正真正銘実在する落ち武者だったとしたら?

 この場合は、”彼”の置かれた不可触賎民のような立場が問題になる。自分を笑い物にすることで彼女を励まそうとした”落ち武者”自身も含めて、「下には下がいる」という認識によってストレスから逃避しようとすることは、何の解決にもならない。

(ちなみにコントの最後で女性が取った拒絶反応は、「見下してる」というよりは、初対面のキモい他人にあそこまで馴れ馴れしく迫られたら当然だと思うので、問題からは除外)

 結局、どちらの解釈をとっても、他人を見下して優越感を得るというスタンスは拭えないわけで、見ていて激しく不愉快になってしまうのだ。


 そこまで酷くはないけれど、「帰国子女リサコ」ネタにも首を傾げてしまった。

 「恩師の葬儀で弔辞を読む役になった帰国子女のリサコさんが場違いにナイスな発音の英語を連発する」というコント……正直言えば、すごく笑ってしまったのだけれど。

 ギャグとしては秀逸だったと思う。葬式ネタの不謹慎ギャグ自体は「死者への冒涜」というより「神妙な場でバカなことをする」というシチュエーションギャグの常套手段だし、何よりリサコさんのオーバーアクションが見事だった。「ナイスパァンチ」とか「チャアシュウメェン、タンタンメェン」とか、そんなコトまでわざわざ弔辞で力を篭めて語らんでも(笑)という感じで。



 ……でも、これを本物の帰国子女の人やその親類が見たら、やっぱり良い気分はしないんじゃないだろうか。

 ああいった場違いな英語の濫用を「リサコさん」というキャラの個性として見るなら楽しめるんだけど、もし仮にスタッフの「帰国子女」全般に対する偏見とか蔑視みたいなものが「リサコさん」を作り上げたのだとすれば、やっぱり人として間違ってると思ってしまうのだ。

 そして残念ながら、他のネタと見比べる限りでは、その憂慮は当たっているように思えてならない。


 ……それでも、この番組が、王監督騒動の後でさえ謝罪一言でアッサリ続いてしまうというのは、それだけ多くのファンがついているということなのだろう。

 激しく憂鬱になる。



 ネット上で荒らしや罵倒を行う人々の心理にも、根本的にはこれに近いものがあると思う……けれど、その話はまた別の機会に。