「この理不尽さを社会に!大衆に!訴えてやるっ!!」

 復活早々愚痴で始まるのもなんですが……今週のアニメ版『ネギま』があまりにもあんまりだったので、感想など書き連ねてみます。
 原作は最近ますます面白くなってるのになぁ……。夕映かわいすぎです。


 原作の12時間目「eGirl Life」は、長谷川千雨とネギがほぼ1対1で他のキャラを本筋から排して進められるエピソード。
 クラスで孤立してる千雨を心配して部屋まで来たネギは、彼女のネットアイドルという隠れた素性を目撃してしまう。しかし素顔が可愛いと褒められた千雨は赤面、さらに暗い部屋から陽光の下に連れ出されて、たまにはいいかと思ったりする。そんな話。
 ちなみに、これ以降ネギと千雨が接触する場面がないにも関わらず、先週のマガジンでカモが出した好感度ランキング(トップ3は本屋・いいんちょ・夕映?)でなぜか11位に食い込んでいたりする辺りも可愛い。

 で、問題のアニメ版XI時間目。前述した話の骨格は一応そのまま使っているけど、致命的に余計なアレンジが入ってしまっている。
 それは”ネギたちの作った2-Aのホームページがネットアイドル一位の座に迫り、ムキになった千雨はクラス全員を敵に回して張り合うことになる”という展開。
 こうした理由はアニメ版『ネギま』の通例として、他のキャラに出番を作るためだろう。途中でコスプレ写真合戦になってるし。また、原作どおりでは尺が足りないのも事実。個人的にはアレンジ無しで別のクラスメイトの主役話(例えば今回同様に無理な引き伸ばしが目立つ鳴滝姉妹の回かいいんちょの回)と併せて2本立てにするのがベターだったと思う。

 アニメ版の今回は何がマズいかといえば、まず第一にクラス全員の存在がネットを介して学園外部へ公開されてしまっている点。一応日本を舞台にしてるとはいえ、『ネギま!』の物語は学園内と魔法使いの世界だけで閉じてるはずなので(※修学旅行も外に出たとはいえ関係者だけで話が収拾している。人前で派手な立ち回りが繰り広げられた映画村の決闘にしても、芝居ということでごまかしているし)。たぶんこの先2-Aホームページの話が蒸し返されることはありえないだろうけど、社会に大きな影響を与えておきながら何の後腐れもないというのも奇妙な話。千雨のネットアイドルという特徴は、あくまで外部的には「ちう=千雨(=麻帆良学園生徒)」という事実が秘密になっているからこそ許容され生きてくる設定であるはず。『ラブひな』のアニメでも、ひなた荘の住人がアイドルデビューする話で同じ愚を犯してるけど。
 さらに致命的なのは、千雨とクラスメイトの関係。原作では我関せず止まりだったのに、アクセス数争いで明確に敵対してしまった挙げ句、思い余って2-Aのサイトへウィルスを送る寸前まで行ってしまっている。しかも、ウィルス送信が未遂に終わるのもクラスメイトのサイトが消滅して敵対理由がなくなるのも不可抗力による(千雨自身が自分の意思で敵対を止めたわけでない)から、どうにも後味が悪い。
 あとは根本的なところで、クラスメイトがネットデビューして千雨と同じ土俵に乗ったことにより、千雨のキャラ的な特権が失われたこと。もう一方の”パソコンが得意”というスキルも、クラスHPへの協力を固辞したせいで無意味か下手すればマイナスの印象を与える要因になってるし。
 とどめに髪の色。最近CMでやってるOVAが本来の配色に近くて可愛いだけに余計、本編の海藻みたいな髪はショックでかい。モブの時はともかく、主役話で目立つには不憫すぎ。(※普段の姿を地味キャラとして強調するならアリだとは思うけど、それならいっそ「ちうに変身した時は髪の色が変わる」くらいやっちゃっても良かったのでは?)
 もうひとつだけ追加。「千雨=ちう?」疑惑がクラスメイト全員の前で広言され、はっきり否定されてしまうくだりも、致命的ではないにせよ蛇足。「朝倉は千雨の正体を知っている」みたいな原作の美味しい枝葉末節部分と上手く噛み合わないのは勿体無い。


 『ネギま!』はメディアミックスの魅力的な素材に見えて、その実すごく調理が難しいと思う。
 アニメ版の失敗(として原作信者である自分の目に映る点)は、脇役系キャラに無理して出番を与えようとしたアレンジが、ことごとくキャラの個性や魅力を潰してしまっていること。
 今回の話ではないけれど、たとえば村上夏美は演劇キャラという記号的な特徴を強調するために仮装めいた大袈裟な衣裳を着せられることが多い。原作の他のエピソードに照らしてみれば、これらは「余計なお節介」で止まらずにキャラ本来の個性を破壊しているとも言える。夏美の場合で言えば「普通人」という原作版のイメージは「仮装演劇娘」というゴテゴテの記号に塗り潰されてしまって影も形も残っていないし。
 また、さんぽ部の回では、葉加瀬聡美によってガンタンクに改造された茶々丸が双子の不注意でネギたちにミサイルを乱射する場面がある。ハカセの扱いもひどいといえばひどい(この話に限らず、ドッジボールや千雨の回でも”マッド”な面だけを即物的に強調されている)けど、ここで気になるのは「これまで(アニメの中で何度も、原作よりも丁寧に)ネギのことを意識する過程が描かれてきた茶々丸が、誤作動とはいえネギを攻撃して危険にさらす」シーンをわざわざ追加したことの是非。たった1話の出番を確保するために、それまで積み上げてきた伏線なりフラグを壊すような暴挙を行う意義はどこにもないと思うのだけれど……。
 ここまで極端ではないにせよ首を傾げたいのは、桜咲刹那龍宮真名が思わせぶりに会話を行う場面。刹那が人気キャラだし今後の伏線にもなるから、という意図は読み取れるにしても、エヴァ編では吸血鬼事件のことを「調査中」と明言しておきながら実質的に何もしていない。原作では彼女たちが何をしているのか全く描写されなかったことによって、「エヴァンジェリン事件はネギに一任され、刹那たちは静観していた(or学長か誰かの命令で静観させられていた、このかの護衛に専念していて手が回らなかった等)」と解釈することも可能だったのに。

 要するにどれもこれも、「ヒロイン31人!」という売り文句を律儀に守ろうとして無理に出番を増やし、描かなくていいものをわざわざ描いたうえに、そうするためにはキャラの理解がお粗末すぎて逆効果にばかりなってしまっている……というわけだ。
 今週のXI時間目は、そういった方針が最悪の形で表れてしまった残念な回だと思う。


※一応フォロー

 アニメの『ネギま!』は根底から何もかもダメというわけじゃなく、メインキャラや物語全体の軸になっている部分はそれなりに再現できていると思う。のどかや茶々丸の掘り下げとか、原作を上手く補完している部分もあるし。(少なくとも、『ジンキ・エクステンド』のようにストーリーやキャラを根本から破壊してしまっている作品と比べれば遥かにマシな出来)

 ただ、どうしても脇役の描写になると勇み足が目立つわけで。
 原作では各キャラの役割分担や出番配分を周到に計算して効果的に印象づけ(いずみのさんの赤松健論で詳しく解説されています。『ネギま!』を読み解くうえで非常に参考になるです)、また「必要のない場面では無闇に目立たせない」ことによってゴチャゴチャした印象を与えないように配慮されているのだけど……、やっぱり13話なり26話なりの間で原作の一部を切り取った中に「商品」として全キャラの出番を確保しようとすれば無理が生じるのかなぁ、と。
 ついでに言えば、『ネギま!』初期の盛り上がりは「モブキャラの紙上で描かれていない部分を想像する愉しみ」も一因だったと思う。もちろん読み手の勝手な想像や妄想が「原作」と食い違う分には怒る筋合いもないけれど、仮にも公式作品であるはずのアニメが「余計な追加描写でキャライメージを壊す」のは勘弁してほしい、と切に願う。