さらに追加;勲章と対戦バランスとQMA

mami_sp_22004-03-19


 たとえばRPGには、「初クリアするまでの過程が楽しい」プレイヤーと、「どちらかといえば初プレイは苦痛。クリア後のレベル上げや再プレイが楽しい」というタイプのプレイヤーがいる。
 自分は後者のタイプだ。要領が悪いせいか行き詰まりや全滅でストレスを感じることが多く、すでに攻略法が分かっている道筋を何度も繰り返すほうが面白い。こういった性癖は難易度が低いギャルゲーに流れてきた一因でもあるし、音ゲーにハマった理由も「乱入対戦で狩られる心配がなく、自分のレベルに応じて気持ち良く遊べる」というシステム的な易しさに惹かれた面が大きい。
 自分の例が一般論になりうるかどうかはともかく、ゲーマーの中に「障害を乗り越える”過程”を楽しむ」タイプと「クリアや勝利の快感を楽しむ」タイプの二者が存在することは確かなわけで、これがQMAを含めた対戦ゲームにおける論点の一つになっているのではないか?と思う。(格闘ゲームのキャラ勝ち問題とか。)

 では、QMAにおいて「”過程の楽しさ”」を求めるプレイヤーと「”勝つ楽しみ”」を求めるプレイヤーは、どのように共存/対立しているのだろうか?
 答えは言わずもがな。過程を大事にするプレイヤーは勝てずともスパステに陥ろうとも同じカードで頑張っているけど、「常勝こそがゲームの楽しさ」だと考えるプレイヤーは何枚ものカードで初心者狩りを繰り返す。共存してるなんて口が裂けても言えないのが現状。
 自分はQMAでは両者の中間に属するけれど、対人対戦を回避しつづけて昇格したオフピーク大賢だし、実力的には「ゴールデンタイムのリアル大魔道士と互角」レベル。サブキャラ育成中の上級では「1回戦で事故らない限り、ほぼ毎回優勝できてしまう」立場なので心苦しい。マラリヤのように魅力的な新キャラが出ない限り、もうサブキャラは作らない……それが自分なりの線引き。

 ただしQMAの場合は、トーナメントに限定しても「プレイヤー本来の実力に関わらず、カードの勲章数だけでクラスが振り分けられる」「実力差が大きすぎる相手との対戦を拒否できない」という仕様の影響も大きすぎる。殺伐化を加速させたガチバトルは論外(だけど、まぁ自己責任ということで。トーナメントからランカーが少なからず”隔離”されたのには感謝すべきか)。
 IDではなくカードの戦績による上級者隔離*1や、店内対戦ルールでの勲章が絡まないオンライン対戦など、実力に応じて遊べる場が欲しい。勲章によってがんじ絡めに縛られた現行の対戦環境では、”食物連鎖”が厳しすぎて一般プレイヤーが離れてしまい、いずれは衰退→撤去という形でマニアにもしっぺ返しが来るだろうから。

*1:勲章獲得ペースや正解率、100点達成回数などに応じて、各階級を2クラス程度に分離すれば十分。上級者側には決勝での勲章数を+1個程度優遇すれば不満も出ないと思う